2011年10月24日月曜日

セクシャリティお話会

10月22日土曜日に「セクシャリティお話会」なるものを開催してみました。
7月から「マイノリティのパイオニア」という肩書きをつけて、マイノリティの方たちに生きやすい道を作って行くという活動をしています。年内には「セクシャリティ心理学の勉強会」を開きたいと思っていて、勉強会の前に、もっとリラックスした状態で、セクシャリティにみんながどんなイメージを持っているのかとか、どのくらい関心があるのかを、聞きたいと思い、座談会をすることにしたわけです。

「セクシャリティお話会」
日時:10月22日土曜日 14時~17時
場所:名古屋クラウンホテル1階ラウンジ(Coffee Shop)
参加費:無料(個々の飲食代のみ負担してください)

こんな感じでやりました。単なる座談会だったんですが、3時間を超えてお話をさせていただきました。ただ話すだけの予定でしたが、いろんな事例を取り上げて、ディスカッションしました。
参加者の感想をいただいたので、ちょっと載せちゃいます。

【貴之くん】
「マイノリティのパイオニアとしての活動について」
応援します。自分に協力出来ることなら協力します。

【でぃさん】
「参加した感想」
セクシャリティばかりでなくマイノリティを理解する、という観点で、いろいろ考える機会が見てたことが良かったです。
「マイノリティのパイオニアとしての活動について」
ある意味、当たり前にとらえられる世界を目指す中で、違いについてどの様に豆腐さんが打ちだしていくのか興味を持ちました。

【うまうまさん】
「参加した感想」
いろんな話が聞けてよかったです。
「マイノリティのパイオニアとしての活動について」
いいかんじです。

【Dさん】
「参加した感想」
まず人数が多いのにビックリしました。一人一人が豆腐さんに親しみを感じ集まっているという雰囲気が伝わってきました。
セクシャリティーお話会では、普段生活している中では、たぶん接しない話題を取り上げ、色々考えさせられることが多かったです。
いつも思うのは、一般的な言葉の概念と、本人や相手のそれぞれが持つ言葉の概念が、入り乱れた中に、自分達は存在していて、その一つ一つが、今や将来、本人や他者に、様々な感覚や影響を及ぼしているんだなと改めて思いました。男女の特性語にもあるように、常に概念は変化しているので、豆腐さんの活動は、変化の過程での今の時代における活動なのかもしれないですね。
「マイノリティのパイオニアとしての活動について」
豆腐さんは、こちらの活動を活発的にしていくと思ってます。頑張ってください。

【Eさん】
「参加した感想」
興味深いお話・資料で、非常に意義のある時間が過ごせました。ありがとうございました。私も少し前から「マイノリティ」についていろいろ考えていました。パイオニアとして何か事を起こす時が来たら何かお手伝いさせて頂けたら幸いです。
「マイノリティのパイオニアとしての活動について」
何かすごいと思う。応援してます!

【Tさん】
「参加した感想」
色々と皆さんそれぞれ深く持っている事があり、何だか自分がすごく平坦に生きてきた気がします。
「マイノリティのパイオニアとしての活動について」
このまま豆腐さんつき進んでほしいです。

【フリーマンさん】
「参加した感想」
関心のない価値観は一般社会に流れてしまう。価値観を受け入れてもらいたい。
「マイノリティのパイオニアとしての活動について」
関心のない価値観は一般価値観を受け入れてしまうので、人の価値観に変化をもたらすのなら大切かもしれないです。

【FBさん】
「参加した感想」
自分自身の性差の感覚やマイノリティな部分に気づくことができました。ありがとうございました。
「マイノリティのパイオニアとしての活動について」
sexualityからの切り口だけど、最終的に色んなタイプのマイノリティ(特殊性・個人個人のユニークな部分)の人たちとのつながりが出来る。可能性を感じる。豆腐さん、これからもずっと応援しています。


で、ボクの感想です。

やった意味はすごくあったし、今のみんなの想いも聞けました。より、進めていく気持ちは増したし、マイノリティに理解をしようとする姿勢にも感動をしました。いちばんに、参加してくれて真摯に考えようとしてくれたみんなと、支えてくれた方、応援してくれた方に大感謝です。本当に大感謝です。みんなの持ち帰りにもとても意識したけれど、発端は自分がこういう活動をしていく上での準備でした。ボクの自分のために思いついたことに付き合ってもらったことに、本当にありがたさを感じます。今後はみんなの感じ方やみんなの役にも立つものをより一層意識して開催をしていきたいと思ってます。

今回ボクは、自分たちマイノリティが職場や家庭やいろんなところにすぐ隣にいるかもしれない、それを知ってもらいたいということと、もしそういう人たちがいたとしたら、その痛みを知っておいてもらいたいというような意味で開催しました。切り口として、マイノリティのうち性的マイノリティに絞ってやってみたいと思ったところです。ゲイの人たちのオフ会などはたくさん開催されているけれども、ボクはこういうお話会はほとんどないと思い、環境の方に執着してみたという感じがあります。

その視点では、大成功でした。そして、ボクも1回目としてはとても満足でした。ただ、お話会終了直後、あまり手ごたえを感じませんでした。緊張もしなかったし、進行もそこそこうまくいった気がするし、みんなの感じも掴めました。なのになぜだろう、と2日かけて考えてみました。たぶん、直後の手ごたえとしてうまく感じ取れなかったのは、思っていたような発言が全くと言っていいほどなかったことかもしれません。代わりの貴重な意見が聞けたので、開催自体には問題がないのですが、ボクが自分の感じる違和感と他のみんなが感じる違和感が予想以上に違ったということですかね。つまり、マイノリティな方たちが隣にいるかもしれないということが強調できたにとどまったってことでしょうか。まあ、それだけでもすごく意味のあることなんだけど、我々の痛みは伝わらなかったように思いました。自分の痛みを痛烈に語ることはしませんでした。それは、我々マイノリティの痛みではなく、ボクの痛みだからです。それで、他のマイノリティの極端な事例を挙げて、ディスカスしてほしいと思っていたのですが、極端なマイノリティの方たちの気持ちになったり痛みを感じたりは、普通の方には自分を置き換えきれなかったっていうような感じがします。その意味では自分の事を語った方がむしろ良かったかもしれないと思いました。

マイノリティの人たちが隣にいるかもしれないといちいち気を使っていては、普通の方は何も言葉は発せなくなってしまいます。そんなことに気を配ってほしいわけではなくて、そういう人がいるかもしれないと知ってもらうだけ、そうして、それを言えずにいる人になんとなく接してしまったら、ちょっと見守るような視点を持ってもらう、そんな程度のことを伝えるのがこんなに難しいのかと思いました。少数派の苦しみを力説してしまうと、一般の人の自由さを奪ってしまう、そんな結果にしかならないのかな。いや、違うと思う。マイノリティの側は苦しくならない努力を自分でしなければならないし、周りにも理解を求めていく。気を使ったり自由を奪ったりするのでなく、ただただ、存在を理解してもらう、やっぱり、それはボクのやるべき活動です。誰もやれていないし、やろうとしていないと思う。心から思っています。奢りでしょうか?
それとも過信でしょうか? そしてこれはする必要のないことでしょうか?
ボクは小さな力だけれど、積み重ねて行きます。ボク以外のボクのような方が、そこまで苦しむ必要はないと、言いたいです。

ボクのやりたいと思ったことは、今の時代、もっと簡単に伝わると勘違いしていたかもしれません。今のボクがゲイであっても元気に幸せにやれていることが伝わっているのに、そこにどんな咀嚼や達観が必要だったかは、ひけらかすつもりはないけれど、伝え方は難しいのかな、と思いました。ボクのやり方で、次回は少し形を変えてまたすぐに開催するけれど、今回のお話会ですでにセミナー的な要素が充分出ていたようなので、今回感じた感触を持ちながら、次の会を決めていこうと思います。かなり緩く資料提供をしたつもりが、濃過ぎたようだし、議論が深まって行ったのは他の方向でしたね。

そして、改めて、思ったほど環境は変わっていないと感じました。折角、今のボクには耳を貸してくれる人たちがたくさんいるので、発信し続けていきたいと思います。そして、それについて来てくれる気持ちのある人たちの速度に合わせて丁寧に辛抱強く会を重ねて行こうと思いました。

「セクシャリティお話会」はとても意味のある会でした。本当に心から思っています。そして継続する必要があると思っています。ボクのすぐ周りの人たちから伝えていくために。
あらゆる人にやさしい気持ちにみんながなれるように、頑張って行きます。そして、ボクもそんな人になれるように。