2014年10月7日火曜日

じぶん発見プロジェクト しろにじカーサ 9月度【マイノリティスタディルーム】のご報告

先月の第4土曜日9月27日は、「じぶん発見プロジェクト『しろにじカーサ』【マイノリティスタディルーム】」でした。

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今回は、3名のみなさんが参加してくださいました。

以下、参加されたみなさんの感想です。

【Oさん】年令的にもこれから先の事が不安ということもあり(金銭的にも健康の面でも)、そして、人間関係が薄いからいざという時に誰からも助けてもらえないのでは?ということも不安材料で、自分自身と向かい合わざるを得ない状況があります。今回の勉強会は、テーマは重いですが、使用したDVDは明るい感じだったので、楽しみながらテーマについて考えることができてよかったです。アパートでの一人暮らしの現在、自分と向かい合うにはいい環境かというと必ずしもそうではなくて、一人でいる時間が長すぎると不安とか恐怖とか悲しみばかりが大きくなってくることもあります。今までの、地縁血縁のしがらみからは、実家を離れたので少し軽くなったのですが、実家のある部落のすぐ隣の部落ですし、職場は地元の市の介護施設ですので、利用者からは祖父母の代のことをいろいろと言われたりもするそのことで気分的に重いです。職場同士の人間関係はかなり悪いと思います。「ただひたすらガマンする」だけというのも限界があるし、ストレスがどんどん溜まるから、今までだったらどんどん遊んでいたりもしましたが、何だかそういうやり方もだんだんと虚しく感じられるようになってきて、振り返ってみれば、今まで自分の基本的な認識や表の立ち振る舞いは親やその周りの人々に文句を言われないためのもので、それに合わせて裏では派手に遊んでいたりもしたのですが、自分の罪悪感を手離して、基本的な認識や表での立ち振る舞いを自分のものに変えたいのだという思いはずっと前から、中学校を卒業する少し前ぐらいからあったように思います。DVDの主人公はマンガで自分の実態権を明らかにしながら自分自身と向かい合ったようですが、自分にはどんな手段が可能か? 実は親から相続をする予定の畑にヒガンバナを60種類と少々植えているのですが、職場に花を飾らせてもらったら職員のおばさんたちにけっこう喜んでもらったりもしていて、「とりあえず、これ(ヒガンバナ、もう少し広げて「山野草」)でいこう」という感触があります。今まで「こうあるべき」というものだらけで生きてきてしまいましたが、まだまだ残っている「こうあるべき」を、少しずつ手離していこうと思います。
今回は、発達障害の当事者である沖田×華さんの例を動画で見てもらいながら、「向き合うってなに?」というテーマでディスカッションしました。

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沖田×華さんは、幼少期に学習障害・注意欠陥多動性障害・アスペルガー障害と診断され、他者とうまくコミュニケーションがとれない日々を送っていました。
学校ではいじめや体罰を受け、高校卒業後北陸地方で看護師となった際も同僚との人間関係に苦しんだといいます。
看護師の仕事は上手くいかず、両親が離婚したショックが重なったことで自殺を図ったこともありました。
3年で看護師を辞め、風俗嬢となってソープランド以外のあらゆる風俗店で働き「やりたいことを全部やろう」と決め、「一生懸命働いてお金をためる」目標を達成します。
風俗嬢となって2年ほどが経過し「お金だけでは自分が満たされない」ことを知り、後の師である漫画家桜壱バーゲンに出会い、絵が個性的だと褒められたのがきっかけで漫画家を志すようになります。
上京後の2006年に漫画家としてデビュー、自身が抱える障害を題材とした作品も多くあります。

まず、参加者のみなさんに自己紹介と、最近の自分自身と向き合ったことや向き合わざるを得なかったことについてお話してもらいました。
そして、動画を見てもらって率直な感想を聴かせてもらいました。

実はこの動画の中で、沖田さんはひと言も「自分と向き合った」とは発言していません。
この動画のなかでナレーションを担当した方が、「蓋をしてきた記憶と向き合う日々」という表現をしたことから、今回のキーワードとなる「向き合う」という言葉をテーマにしました。
沖田さんは、そんな「蓋をしてきた記憶と向き合うこと」「ダメな部分も全部自分だから、悪いところを受け入れた」という表現をしました。
そして、「(そんな自分も)いていいのかな」と言っていました。
自殺を試みて存在を消そうとした自分を受け入れて「そんな自分でも(存在して)いてもいい」と思えたこと、それが、今回のテーマの「向き合う」という言葉につながると思えて取り上げてみたものです。
自分はダメだということになってしまう社会や環境、そのなかに存在していて、その自分すらも自分にダメ出しをしていては、苦しいに決まっています。
ダメなまま、社会に存在することに耐えられないのは当たり前ですよね。
誰がそれをダメだと烙印を押すのでしょうか。
多少上手くやれなない部分を、社会に存在することすらダメだと決めてしまっているのは、実は自分自身なんですよね。

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後半は、「向き合う」ことがどんなことだと思うか、向かい合わざるを得ない状態にある場合に、自分自身の何を「受け入れ」、何と「向き合う」ことだと思うか、をディスカッションしてもらいました。

彼女は、開き直りでもなく反発でもなく、ダメな部分を隠すために漫画という得意分野で認められたのではなく、他人がダメだと決めつけている部分をさらけ出して漫画の題材にして、世に共感を得ました。
彼女は、強くなったのではなく、弱さを受け入れただけだったんですよね。
生きている価値がないと決めつけているのも実は自分自身、それに気づくことが最初の1歩だと、ボクは思っています。

自分の何を受け入れ、何と向き合うかには、自己理解がとても大切。

そして、これはボクの私見ですが、自分の人生の何に「価値」を見出すかについて、いちばん必要なのは「自己受容」ではないだろうか、と思っています。

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毎月書いていますが、3月までの「セクシュアリティ勉強会」のときは、事例が極端すぎてなかなか当事者の気持ちになりきれないという意見が多くありましたが、【セルフイメージチェンジルーム】で理論的に、もしくは感覚的に得たものを、応用してもらえるような、この3時間だけでもいろんなシチュエーションに身を置くことで、実際に自己理解相手理解を深めていってもらいたい意図もあります。
人は独りでは生きていけません。
人との関係性のなかで、また自分が存在する社会のなかで生きています。
深く「自己理解」をして、自分を受け入れ、自分と向き合って、自分の人生を全うしていきます。
そして、社会に存在していくのです。
【マイノリティスタディルーム】では、これからも「マイノリティ当事者の事例を参加者の方に活かしてもらえるような気づきをもたらす、そして安心して自分のことを話し、支えあっていけるような「心の居場所」にしていきたいと思います。


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参加してくださったみなさん、ありがとうございました。

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