2009年5月17日日曜日

あるスキャンダルの覚え書き


 ロンドン郊外のセントジョージ総合中等学校で歴史を教える初老のバーバラ・コヴェットは、非常に厳格で生徒に知られているベテラン教師、何に対しても常に批判的な上、斜に構えた態度や単刀直入な物言いで周囲から疎んじられていた。孤立しているバーバラはある日、美術教師シーバ・ハートに目を留めた。家族も親しい友人もおらず、飼っている猫だけが心のよりどころだったバーバラは、シーバとの友情に固執するようになる。彼女こそ、私が待ち望んだ女性に違いないと、シーバの様子に執拗に目を配り、日記に彼女のことを夜毎書き綴る。ある日、シーバのクラスで騒動が起こる。偶然、通りかかったバーバラが殴り合う男子生徒を一喝し、騒ぎを収拾した。シーバは心からの感謝をバーバラに捧げ、バーバラを自宅に招くことになった。美容院で髪をセットし、花束を手にいそいそとシーバ宅を訪れたバーバラを出迎えたのは、シーバの夫と長女、ダウン症の長男。幸せを絵に描いたようなブルジョワ家族の休日を皮肉的に見つめるバーバラだったが、食後にシーバから人生の不満や夢を打ち明けられ、彼女との友情を勝手に再確認した。しかし、この友情には価値観の違いがあった。バーバラは神聖なものだと思い込んでいた。演芸会が行われた夜、シーバを探しに美術教室に向かったバーバラは、シーバが男子生徒とセックスしている姿を目撃する。その少年とは以前バーバラが叱った少年スディーヴン・コナリーだった。その関係に気づかなかった自分を呪ったバーバラは、シーバを呼び出し、すべてを告白させる。シーバはバーバラの強い厳命を聞き入れ、コナリーとの別離を決意した。秘密を握ったバーバラとシーバの間には、微妙で奇妙なバランスの友情が培われ始める。
 美しい美術教師と、彼女に執拗な関心を抱くオールドミスの教師とのスキャンダラスな関係を描く心理スリラー。これは実際にアメリカで事件。『アイリス』のリチャード・エアーが映像化した。オスカー女優のジュディ・デンチとケイト・ブランシェットが、火花散る演技対決を繰り広げる。孤独な年配女性教師の屈折した友情が、徐々に偏った愛情へと変化し明らかになっていくストーリー展開に引き込まれる。
 イギリスのブッカー賞で2003年の最終候補に残り、イギリスとアメリカ両方のベストセラー・リストに載ったゾーイ・ヘラーの「あるスキャンダルについての覚え書き」。激しい映画化権獲得の争いが繰り広げられた。スコット・ルーディンとロバート・フォックスのコンビが獲得し、原作を読んだルーディンは、バーバラを演じられるのはジュディ・デンチしかいないと確信していた。物語の非常に主観的なナレーターを含め、言動に悪意すらにじませる老女バーバラをデンチが貫祿たっぷりに演じている。平穏な家庭生活を営むなかで、子宝にも恵まれたが、人生に意義を感じることも自分に自信を持つこともできず、ふとしたきっかけでスタートした禁断の生徒とのセックスにのめりこみ、身動き取れなくなっていくキャラクターをケイト・ブランシェットも繊細さと大胆さを絶妙に配分した演技で人間の欲望をコントロールできない中年女を演じている。何かがバーバラの歪んだ感情を露呈させてしまった。急速にバーバラとシーバは親しくなっていくなか、誰ひとり自分を気に留めてくれなかったバーバラに、学校に行けば若く美しいシーバがほほ笑みかける。孤独なバーバラは友情とはほど遠い感情に翻弄されていく。シーバの抜け毛を偶然手に入れ、まるで宝物のように丁寧にハンカチに包み持ち帰り、大切な日記にスクラップ。シーバに自宅に招かれ社交辞令のつもりが、特別なことと思ってしまうバーバラ。シーバとの友情を美しいものだと信じて疑わないバーバラ。毎日、彼女とのささいな出来事を妄想とも言える表現で綴る。生徒と女教師のセックスを道徳的に考えて妥当な意見で喝するバーバラだが、本心は果たして……。どんどん友情の固執と嫉妬に異常な状態になっていくバーバラ。
 この映画の中で、バーバラがシーバの腕を取り、指を滑らせていくシーンがいちばんエロティックで異常なものに感じました。彼女が自分の同性愛的要素に気づいていれば、それは異常な行動でもないんだけれど、友情の枠は超えている。嫉妬もストーカー並み。これはレズビアンを内包した、複雑で、デモストレートでもな感情の人間の欲望のドラマだと思う。
 欲望むき出しのエゴイストな老女は、シーバとの関係ののち、ラストでまた同じ過ちを繰り返す。人間はこんなにも醜い生き物なのか。それとも、偏った愛情は人間の理性を打ち砕いてしまうのか。心苦しくなる映画でした。

◎作品データ◎
『あるスキャンダルの覚え書き』
原題:Notes on a Scandal
2006年イギリス映画/上映時間:1時間38分
監督:リチャード・エア
出演:ジュディ・デンチ, ケイト・ブランシェット, ビル・ナイ, アンドリュー・シンプソン, トム・ジョージソン

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